【ビオママン】運命を変える出来事①


こんばんは。

おうちまるしぇながおか店長のなつみんです。


ママになってから特にずっと説き伏せていたこと、

今日は書きます。


今からさかのぼること、14年前の2004年。

新潟県においては、中越地震のあった年という記憶があります。

中越地震のあった年、私にも忘れられない年でした。


長岡市の中でも、地震の被害は幸いにもあまりなかった地域だったのですが、

想像もしていなかったことが起きました。


私には、本当は1人姉がいました。

当時の彼女は、24歳。

国立の四年生の大学を出て、将来も安定が望める就職先に勤務していました。

地震の影響は彼女にもなかったのですが、地震で避難していたので、彼女といろいろと話をしていると、口の中に違和感があると言っていました。


おそらく、中越地震のあった、10月23日直後位だったと思います。

少し自信が落ち着いたら、医者に行ったらという感じでその時は終わりました。

そして、1週間か、数週間後?記憶があいまいなのですが、

地元では一番大きな総合病院に行くことになりました。


結果はどうだったと聞くと、また病院に来てくれてって言われたというのです。

当時の私は、なんでだろう?くらいにしか思っていなかったのですね。


再度病院に行って、レントゲンまで撮ったそうで、レントゲンの結果が出たら親と一緒に来てくれと言われたそうです。

私、まだなんでなんだろう?くらいにしか思っていませんでした。


それから1週間後、レントゲン撮影の結果を聞きに、姉と両親が病院に行きました。

帰ってきた、両親の様子がちょっといつもと違ったのは、私でも分かりました。


病名が、舌癌。それも既にすごく進行しているとのことでした。

私は一瞬頭が真っ白になって、ぜつがん??全く理解ができませんでした。


まだ24歳と姉は若かったので、可能性はあるので、

首都圏の専門病院へ、入院と手術をすすめられました。


その話は、トントン拍子に進んで、すぐに首都圏の病院に入院しました。

そして、手術もし、術後の経過は良し、私も安心していました。


姉は、首都圏の病院から、地元長岡へ戻ることが出来ました。

舌の手術をしたと思うので、少し話はしづらそうでしたが、それ以外は普通の人と見た目は、何一つ変わらない状態だっと思います。


それが、手術後、およそ数カ月で、舌?顔?よく覚えていないのですが、

どこかがすごく膨らんできました。


これは、様子がおかしいと思って、病院に電話して、

再び首都圏の専門病院に入院することになりました。


また術後は容態が良くて、長岡に戻ってきました。

今度こそ大丈夫と思っていたら、また数か月後?1か月後くらいかもしれません。


また容態が見た目からして変わって来てしまい、

再び入院することになりました。


そんなことをわずか2年で何回も繰り返し、

抗がん剤治療、放射線治療、あとは覚えていないのですが、

専門病院のやれることは、全てやってもらっていました。


最後は、容態が悪くなっても、もう手の施し様が無いと言われたと、

両親から聞きました。


私はお医者さんが、治せるものだと思っていて、

お医者さんがもうこれ以上、手の施し様が無いってどういうこと?

全く持って理解ができなかったというか、パニックになっていました。


とりあえず、現実を受け止めたくなかったですね。

最初に、舌癌と診断されたときも、その後もずっと。


長岡に戻った彼女は、地元の病院に入院していたのですが、

体の組織が破壊されてしまい、咳をしただけで息を引き取ってしまいました。


当時の私は何もわからなかったのですが、とにかく恐怖でしかありませんでした。


彼女の手紙に、同じような辛い思いをさせたくないということが書かれていました。


当時の私、20代前半。

今もだけれど、現実を受け止めたくなかった。


ママになってから、まわりの方にいきなり、

気が沈むようなことを伝えては悪いと、

ひとりっ子と嘘をついていました。


私は、ひとりっ子ではないけれど、大好きだった姉を失ってしまいました。


彼女の大切にしていたアクセサリーを、今でも大切に保管しています。


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